西郷どんで小松帯刀を演じるキャストは町田啓太さんに決定

西郷どんで小松帯刀(こまつ たてわき)のキャストが発表され町田啓太(まちだ けいた)さんが演じることになりました。

町田啓太さんと言えば、NHK朝ドラ「花子とアン」で鈴木亮平さんの弟役を演じました。
今回、西郷どんで鈴木亮平さんと共演ですが、鈴木亮平さん同様に大河ドラマは初出演です。

鈴木亮平さんが34歳で町田啓太さんが27歳で7歳年下で、身長は鈴木亮平さんが186cmで町田啓太さんが181cmなので兄弟役を演じるのも釣り合っていましたが、今回の町田啓太さん演じる小松帯刀は薩摩藩の家老職で、歳は西郷よりも年下ですが、身分は西郷よりもずっと上です。
調べたところ島津久光に抜擢され28歳で家老になったというからすごい出世ですね。

町田啓太さんのオフィシャルブログ


町田啓太さんは、自身のオフィシャルブログで
以下のようにコメントしています。

本日、記者会見に登壇させていただいてきました!!

僕は小松帯刀役で出演します!

大河ドラマ・時代劇は初めて。
本当に光栄です。

小松帯刀は弱冠28歳にして家老職を務めたと聞きますが、僕も28歳を迎える今年、大河ドラマに初出演させていただけることにご縁を感じています。

僕も家老職を任されたくらいの気概を持って全力で取り組まさせていただきたいと思います!

是非楽しみにしていてください!

小松帯刀はどういう人物だったのでしょうか?


小松帯刀はどういう人物だったのか知らない人もたくさんいると思い
いろいろと調べてみました。

小松帯刀は1835年に、薩摩藩(現在の鹿児島県)の藩士、肝付兼善の三男として生まれたと言われていますが、系図では四男となっています。
幼名は尚五郎となのり、その後帯刀となります。 尚五郎は13、4歳ごろから学問の才覚を発揮し、漢学者・横山安容の下で儒学を修めるが、体質的に虚弱であったことと昼夜を問わない勉学が災いして17歳を数える頃から病に伏せがちの生活を送るようになります。
安政2年(1855年)に21歳で奥小姓・近習番勤めに任じられ、そして22歳になる年に、同じ薩摩藩士である小松清猷(きよみち)の妹、近を妻に迎えると共に、小松家の養子となってその後を継ぎます。その2年後には、名前を清廉(きよかど)と改めます。
安政5年(1858年)7月に島津斉彬が没し、島津忠義が藩主になると、清廉は当番頭兼奏者番に任命され、集成館の管理や貨幣鋳造を職務とします。

文久元年(1861年)に北郷作左衛門とともに長崎出張を命じられ、オランダ軍艦に乗船して軍艦操作、破裂弾・水雷砲術学などを修学します。
同年5月18日、島津久光の側役に抜擢され、文久2年(1862年)に28歳の若さで家老職に就任。
下級武士の登用を積極的に久光に進言し、大久保や西郷たち下級武士たちとの親交を深め、藩の要職に推薦します。
薩英戦争では、研究した水雷を鹿児島湾に配置するなどで尽力します。

在京中に土佐藩脱藩浪士の坂本龍馬と昵懇(じっこん)となり、海援隊設立を援助したり、龍馬の妻・お龍の世話もしています。

長州の井上馨と伊藤博文を長崎の薩摩藩邸にかくまってグラバーと引き合わせ、その後、鹿児島へ井上を伴って薩長同盟の交渉を行った。

なお薩長同盟における密約や桂小五郎が滞在したのも、京都における清廉の屋敷であったと伝えられます。

大政奉還の際は藩代表として徳川慶喜に将軍辞職を献策し、摂政・二条斉敬に大政奉還の上奏を受理するよう交渉をします。

明治2年(1869年)9月、明治維新の功により賞典禄1,000石が授けます。
新政府においても将来を嘱望されたのですが、数え年36歳で病気で亡くなります。

新時代に何が必要かを見抜き、幕末から明治維新のいろいろな出来事には帯刀が登場しています。
病気にならなければ、もっと活躍していたでしょうね。

小松帯刀の人物像


◆寛容で雄弁明快な人柄で人望が厚く、若くして薩摩藩の重職に取り立てられた。西郷隆盛に初めて会いに行った際、西郷が、身分としては遥かに上とはいえ自らより7歳若い小松の度量を試そうと、わざと部屋で横になり小松を待っていたところ、小松はその姿を見て立腹することなく、むしろ西郷のために枕を持って来るよう従者に促したため、西郷はその一言を聞くや居住まいを正し小松に詫び、忠誠を誓ったという。

◆下級武士の登用を積極的に久光に進言し、大久保や西郷たち下級武士たちとの親交を深め、藩の要職に推薦します。

◆西郷と糸(3人目の妻)の婚儀の媒酌人をしている。

◆愛妻家で、新婚時代の安政3年4月23日から5月6日(1856年5月26日から6月8日)にかけて当時珍しい新婚旅行で霧島の栄之尾温泉に滞在した記録がある。この滞在には千賀の父も同行した。ちなみに日本初の新婚旅行を行ったとされる龍馬は寺田屋事件直後の慶応2年(1866年)であり、実際には清廉のほうが10年早く新婚旅行を行っていたことになる。

 

維新へ向かって爆進する志士達をまとめあげ、薩長同盟や大政奉還など維新の改革で活躍する帯刀の生き様は「西郷どん」でどのように描かれていくのか今から楽しみですね。