西郷どんでキャストの渡辺謙さんがブラタモリで鹿児島を紹介

2018年6月7日

3月16日(金)放送のブラタモリでキャスト斉彬演じる渡辺謙さんが西郷どんの舞台鹿児島を紹介しました。
番組を見て、「なぜ鹿児島出身のひとたちが明治維新の立役者になれたのか?」ということがよくわかりました。
タモリさんて鹿児島出身なのですね。

なぜ斉彬が大砲や鉄砲を作り、軍艦まで購入して異国との戦いにそなえようとしたのか?


番組を見て、少しわかった気がします。
それは、薩摩がイギリスやフランスなどの欧米諸国から一番近くにあったからです。
ヨーロッパから船でやって来ると、一番近いのは鹿児島だからです。
江戸にいる人間よりも異国に対する危機感が強いからです。

歴史をみても、生麦事件や薩英戦争など薩摩とイギリスの間に起きています。

文久2年旧暦8月21日(1862年9月14日)に、島津藩主の父、島津久光の大名行列の前をイギリス人が横切り、島津藩士達はイギリス人を斬る生麦事件が起きます。

その生麦事件の解決と補償をせまり、1863年8月15日にイギリス艦隊と薩摩湾で戦争になります。
これが薩英戦争です。
薩摩方は鹿児島城下の約1割を焼失したほか砲台や弾薬庫に損害を受けたが、イギリス軍も油断によって予想外の損害を被ったそうです。戦争は両者痛み分けの結果だったようです。

なぜ薩摩のひとたちが明治維新の立役者になれたのか?


なぜ薩摩のひとたちが徳川幕府を倒し、明治維新の立役者になれたのか?
日本の中でなぜ薩摩の人たちが、明治維新の立役者になれたのか不思議に思っていたのですが
謎がとけました。

いろいろあるのですが、まずは、薩摩藩独特の「郷中(ごじゅう)教育」にあることがわかりました。

維新の三傑と言われるのが、木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通です。
この中で、西郷隆盛と大久保利通は同じ薩摩藩士で下級武士の生まれで、同じ町内に育っています。

鹿児島市の中心、甲突川左岸の下流域に加治屋町がありますが、ここが薩摩藩の下級武士の居住地になっていました。
ここで暮らす武士の50戸を単位に郷中というものを作り、武士の子供をあつめ少年期から成人になるまで武道や忠孝の精神を徹底的に教え込む教育システムが郷中教育でした。
まず年齢によって幼少から成人した妻帯者まで4つのグループ(小稚児、長稚児、二才、長老)にわけて、
小稚児はひとつ年上の長稚児から長稚児は二才から、二才は長老から学問や武道を習うという仕組みだ。

その郷中教育の根幹は、島津家15代当主の島津貴久の父・忠良が完成させた「日新公(じっしんこう
)いろは歌」にあるとされます。

内容は、以下のようなものが書かれている。

  •  武道第一であること
  •  郷中の外の集まりにでても長居しないこと
  •  何事も郷中の仲間内で相談すること
  •  お互いに古風をもって不作法をしないこと
  •  嘘を言わないこと
  •  弱いものいじめをしないこと

こうした立派な武士(薩摩隼人)に育てあげようとした郷中教育が、
たくさんの維新のヒーローを生み出したのです。

薩摩のひとたちが明治維新の立役者になれた理由は他にもあります。
それは、鹿児島の環境にあります。


50万年前、鹿児島には3つの大きなカルデラがありました。
このカルデラが爆発して噴出した火砕流が堆積して長い年月がたち「溶結凝灰岩」ができました。
この「溶結凝灰岩」を「たんたど石」と言っていましたが、「たんたど石」は加工しやすい特徴があります

異国からの攻撃に備えるために、大砲を作るのですが、この大砲の台場に「たんたど石」が使われたのです。
江戸幕府よりも早く鹿児島で大砲が作られたのは、この「たんたど石」が鹿児島に豊富にあったからでした。

東京の「お台場」は異国の攻撃を迎え撃つための大砲の台場だったのです。

さらに斉彬はオランダからの本を見て、鉄を作るための反射炉を造りだします

斉彬は誰も教えてくれないのに、本を見て鉄を作る反射炉を創るからすごいですね。

その鉄で大砲を作ったのです。

また鹿児島の地形を利用した水車で、大砲に穴をあけたのです。

こうした、鹿児島の地形が徳川幕府を倒し、明治維新の立役者を生み出したのですね。